教育格差の拡大は、ニッポンを教育後進国にする! 福地誠『教育格差絶望社会』の読書録

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福地誠『教育格差絶望社会』

単行本:285ページ
著者:福地誠
出版社:洋泉社
発売日:2006年(平成18年)7月10日初版発行

目次

Introduction
まったり500万円コースか、
ハードな3000万円コースか、
道はどちらかしかない!

プロローグ 二極化する教育
セレブの子は顔立ちまでかわいい?
ゲーム漬けになる子ども
二極化する子どもたち

【第1章】 経済格差が学力格差に直結する時代
学力は低下しているのか?
誰の学力が低下したか?
東大に入りたかったら朝メシを食え!?
教育熱心な新富裕層
日本のイートン校を目指す海陽学園
教科書も授業時間も違う「公立」と「私立」
私立中学受験は想像を絶する厳しさ
並コースでも子ども1人に2985万円
「下流」は自堕落で享楽的な人?
生活保護母子家庭の厳しい現実
親の貧困は連鎖する!
確実に増えつつある貧困層

【第2章】 東京のなかで広がる格差の現実
名門校のそばには必ず非名門校がある
わが家の仰天体験
平均年収800万円以上の小学校は8校
引っ越しというリスク
教育環境は金で買うもの
投資型ラインと消費型ライン
教育費トップは千代田区と港区
分裂する城東・城北と城西・城南エリア
黒光りする東京ブルーカラーベルト
足立区は下流ではなく下層社会?
足立区北部の特殊性
都営住宅が呼び込む貧困層
足立東高校の作り出した好循環
歯磨きを教えられたことがない高校生
激突する授業料取り立てバトル!
垣間見えた教育の原点
教育、階層、地域というトライアングル

【第3章】 格差が公然と導入される公教育
教育も消費者になる時代
公教育でもクラス分けが普通に
競争主義が復活しつつある教育現場
少人数指導の一環としてとらえる行政
親には好評な習熟度別授業
得られるものと失われるもの
公立中高一貫校3つのタイプ
年収700万円層を取り込む公立一貫校
変わる高校受験の意味
学区の自由化で塾が必須に
日本ではなくなる東京
地方は全県ピラミッド型へ
多様化する公立高校への期待
多彩な手を打つ文部科学省
改革の恩恵を受けるのは誰か?

【第4章】 先進国最悪の個人負担が歪みを大きくする
偏差値レースの参加費は1000万円!
子どもの学費で親の年収が吹き飛ぶ
苦学生はアングラ・バイトに走る
低成長になっても上がり続けた学費
教育に金をかけない国・ニッポン
先進国で最低水準!
重圧にあえぐ親子と逃げ出す親子
子どもと老後を二者択一する時代に
高収入夫婦ほど集中投資
先行するアメリカの教育費破産

【第5章】 消費者として学力を購入する時代
受験学力の本質とは?
塾選びで勝負が決まる!
マンション購入に見る消費スキル
学力購入スキルが合格の決め手!
リサーチしなかった受験パパ
子どものプレッシャーを和らげるためにマンション購入!
世界の最先端を行くハウツー技術
教員が塾講師に勝てない理由
「いいとこ取り」を極める塾活用術
東大専門受験塾・鉄緑会の実態
塾選びもフットワークの時代に
さらに消費財化する教育

【第6章】 格差再生産のメカニズム
ハビトゥスという見えない鎖
くぐらなかった狭き門
もはや「普通の高校生活」は存在しない
勉強するのはかわいそう?
女性にとって高学歴は幸せか
遺伝するアルバイト生活
学歴社会というロンダリングシステム
絶望が暴力に変わるとき
「昔は貧乏でも東大に入れた」のウソ
中学受験ブームの源は集団就職にあった!
公立校の転身は「堀川の奇跡」から始まった
地方都市間にも格差の兆し
私立化する公立高校
カエルの子はやはりカエルなのか?

【第7章】 教育格差、そして学歴のゆくえ
冬の時代に入った私立
Fランク大学はフリーパス
危ない大学の延命術
さらに価値が上がる東大ブランド
大卒の価値は地に落ちる
学歴がないとスタートラインにも立てない時代
学歴社会はコネ社会!
有名校の価値は人脈のみ?
学校名を唱えればすべての罪は開かれる

【第8章】 新・選抜システムの構造
三極化する大学
中間層は留学して自分探し
企業ニーズに対応した専門職大学院が増える
さらに高くなる学歴のお値段
大学入試の代替物としてのSPI
ブラックボックス化しているSPIの実態
いずれ登場してくる大規模テスト
教育が資本主義下に置かれるとき
学歴とスコアが並存する時代に

エピローグ 教育後進国に成り下がるニッポン
江戸時代から「向上」に目覚めていた日本人
お釣りの渡し方に表れた世界一の教育レベル
そこそこの秀才はいらない時代
登場するストリート・チルドレン
エリート教育は人材輩出力の低い教育
人口減少時代を支えるのは誰か?

あとがき
主要参考文献

表紙

このまま行き過ぎた二極化を推し進めれば、
子どものころから多額の教育費を投資されたわずかな秀才と、
やさぐれていくその他大勢で構成される絶望社会が誕生する!

教育格差の拡大は、
ニッポンを教育後進国にする!
小泉構造改革の負の側面である経済格差。
この経済格差が学力格差に直接反映されるようになってきている。
なぜ反映されるのか?
それは「教育の機会均等」がすでに幻想でしかないからだ!
偏差値レースに参加しようと思えば、高校から大学だけで1000万円が必要なうえ、
すでに選抜の主戦場は中学受験に移りつつあるため、その費用はさらに増す。
そのうえ、学費の個人負担が先進国のなかで日本は最も多い。
つまり、教育も市場原理で働き、学歴は努力による業績ではなく、
生まれによる属性で決まる社会になってきているのだ!
もうまもなく国民の9割が
人生のスタートラインにすら立てない社会が到来する!

『教育格差絶望社会』の読書録

個人所得が減少する中、家庭における教育コストの負担は非常に重たくなってきている。
「子供の教育費」と、自分たち「親の老後資金」のどちらを選択するか・・・
そんな究極の選択で頭を悩ませる家庭が増えているのかもしれない。

本書を読むと、各家庭における経済格差が子供への教育投資の格差→学歴格差→子供の将来の格差
つまり、お金がなければ満足な教育を受けられず、
事実上『出自』=『身分格差』のようになっていることがよくわかる。

高校まで公立畑の私としては、
学力を問う前にその土俵に上がることすら放棄している人たちを身近で見てきただけに、
きれいごとではない厳しい現実に胸が詰まる思いがした。

就学援助率

東京都23区の中でも城東・城北地区の就学援助率が高くなっている。
特に高いのが足立区で47.2%にも上る。(2位墨田区36.9%、3位板橋区36.3%)

「就学援助とは、就学している子を対象に区市町村が行っている援助だ。
生活保護が「要保護」であり、こちらは「準要保護」となる」(P60)

17ページでは、昔なら「当たり前」とされていた結婚、就職、正社員、子供を持つ、ほどほどの生活・・・
といったものが手に入りにくい状況になっていることを指摘しているが、就学援助率の高まりからは、
厳しい経済状況の中で教育投資に目を向けにくくなっている姿が垣間見える。

※足立区には32,500戸の都営住宅があり、その割合は東京23区の19%。
都営住宅の家賃は年収に応じて1~5万円であるので、お金がない人が集まるという背景もある。(P73)


(一方、就学援助率の23位は千代田区で6.7%)

教育改革の恩恵

「選択肢を多様化することで、消費者は選びたいものを選ぶことができる。
ただし、それを享受できるのは、大都市圏に住み、経済力や情報力を持った者だけなのだ。」(P122)

偏差値レースの参加費は1,000万円!

「偏差値レースへの参加資格は、高校から大学までの7年間で1千万円を支払えることだ。
その額がベースとなり、それに上乗せして小学生時代や中学生時代の塾代などを支払う。
サラリーマンの賃金の年功序列制が崩れるとともに、それだけの余力を持つ人は減りつつある。」(P125)

「主役は子ではなく、親であり家庭環境だ。
親が子どもの進学にまるで興味を持たない家庭で、それでも子どもは優秀だというケースなど、
現実にはほぼ皆無に近いといっていいだろう。」(P126)

受験は情報戦

「そもそもテストというものは、根本的に形式との勝負なのである。
何がどんなふうに出題され、どんなふうに点数化されるかという研究抜きにして、
対策など存在しないものなのだ。
学力を伸ばしてテストを受けるのではなく、テストを研究してそれを突破するための能力をつける、
これが受験学力というものの本質だ。学力→テストではなく、テスト→学力なのだ。」(P153)

ここでは年配者や公務員や教師・・・といった人たちの中に存在する、
「学力を高めればその結果として受験も受かる」という考えを否定しているが、
私のような偏差値低位の公立高校の場合、テストのテクニック以前の問題であった。
浪人して受験に本気で向き合ったからこそ「目に見えない格差」(P153)の存在に気づいたわけだが・・・

なお、試験技術(裏ワザ)については、「センター試験マル秘裏ワザ大全」を推奨している。
理系科目は学力ベースなので裏ワザの比重は小さいが、
文系科目では裏技の比重が大きいとのこと。(特に現代国語)(P155)

学力の購入で一番大事なこと

「学力の購入で一番大事なことは、塾選びと学校選びなのである。」(P161)

塾選びはマンションの購入と同じであると述べられている。
子どもが友達の意見によって決める、あるいは近所だからといって近場の塾に入れるような「運任せ」ではなく、
現地調べ、知り合いの経験者からのアドバイス、プロの意見・・・
それらリサーチは親の役割であるとしている。

近場で友達も所属しているからという理由だけで入った塾で
結果的に受験に失敗した経験のある私としては、まさにその通りだと思える。
もちろん、自分の学力不足もあったわけだが・・・

学校システム=不平等を促進

「学校システムというものは、じつは不平等を促進するものだと教育学者の間ではいわれている。
どの子も平等に扱い、少なくとも最低ラインの知識を与えるという点では平等を促進するようでありながら、
細微に見てみると、生まれの不平等を学歴の不平等に浄化するシステムであることがわかるというのだ。」(P204)

その昔、東大合格ランキングの上位を都立高校が占めていたが、著者が日比谷高校卒業生に聞いたところ、
各地からの越境ぶりは生徒の半分にも及んでいたという。
また、私立中学から入学してくる者もいた・・・
すなわち、都立高校(上位)の生徒といっても、家庭が貧しいわけではないのだ。(P205)

学歴社会はコネ社会

「多くの企業では、東大生と日大生がいたときには、能力が同じだとしたら東大生を選ぶという。
官庁に知り合いが多いからだ。こうして一部の銘柄大学に入ることが重要な社会となる」(P238)

日大卒の私としては、就職活動における学校格差を身を持って体験した。
1999年卒業組みという時期的な不遇もあるが、名の知れた大企業の募集自体が想像以上に少なく、
希望が大手企業の正社員ということならば、ほぼ小売業や外食産業しか選択肢が存在しなかった。
本書で書かれている「学歴フィルター」による差別も知らずに受けていたのだろう。