「希望の年金」への途を拓く 植村尚史『若者が求める年金改革』の読書録

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植村尚史『若者が求める年金改革』

単行本:175ページ
著者:植村尚史
出版社:中央法規出版
発売日:2008年(平成20年)4月20日発行

「不安の年金」から「希望の年金」へ
若い人たちが納得して保険料を納められるような、将来も安心で確実な年金制度を提案。
「年金とは何か」という本質的な問題から考えることで、あるべき年金の姿は見えてくる。
「希望の年金」への、具体的な年金改革への途を明らかにしていく。

目次

はじめに

第Ⅰ部 誰がために年金はある

【第1章】 年金制度の問題点とは何か
1.誰の立場に立って論ずるのか
-最も長く負担するものの側に立って論ぜよ-
2.年金における「世代間不平等」の本質
-少子高齢化のせいにできない「不公平」-
3.「空洞化」の本質
-どこに穴が空いているのか-
4.女性の年金問題の本質とは何か
-「女性の年金問題」は女性だけの問題ではない-
5.「消えた年金」とは何だったのか

【第2章】 時代の変化に遅れる年金
1.低成長時代の年金
-成長の夢からさめよ!-
2.将来の備えか、仕送りか?
-年金不信の元凶は「世代間扶養」という考え方と「仕送り年金」-
3.未来への信頼なくして現在の拠出はない
-「時代のリスク」を誰が引き受けるのか-
4.60年体制の呪縛からの脱出を
-「基礎年金」という名の幻想-
5.そして不安が残った=平成16年改正再論
-100年安心な年金の末路-

第Ⅱ部 改革への途

【第1章】 あのすばらしい改革案たちをもう一度
1.過去債務論再度
-改革の足かせとしての過去債務-
2.税方式論再考
-「仕送り」年金の究極型-
3.民主党案再検討
-足して2で割らなかった改革案-
4.「スウェーデン方式」を見直そう
-仮想積立て方式の可能性-

【第2章】 年金改革への途を拓く
1.年金が年金であるための条件
-「将来の備え」型の年金とは?-
2.改革案の提案
-二つの年金に区分する-
3.改革案による年金問題の解決
-求められる年金制度に改革していくことで問題は解決される-
4.実現可能性の検討
-合理的なものは現実的でもある-

おわりに
参考文献
著者略歴

『若者が求める年金改革』の読書録

当ページ記載:2009年12月23日

わずか175ページながら、文字量も内容も濃く年金について深く考えさせられる一冊。
著者の年金改革案は、公的年金制度を「これまでの年金」と「これからの年金」の2つに分離するという独特なもので、
後者については「積立方式」を採用・・・しかし『二重の負担』はしっかり回避するという非常に興味深い案となっている。

改革案の前提は社会保険方式であるが、「これからの年金」の積立金は「これまでの年金」への借入金となり、
実質的な「賦課方式」でありながら「積立方式」を実現。
そして「これからの年金」の最終的な形は、借入金に利子を付けて返していくだけの存在になる。

「これからの年金」は、被保険者を所得を得る全ての者とし、被用者、自営業者、無業者等の区別はしない。
保険料は、被用者は労使折半、それ以外の者は全額被保険者負担とする。
その他夫婦間の年金二分化、徴収方法の工夫、追加国庫負担については消費税、相続税の強化、所得控除の見直し等。 仕組み自体は決して簡単ではないが、これなら社会保険方式でも・・・と思えてくる。

若者が求める・・・

「年金制度を巡っては、さまざまな立場、利害関係が存在する。そのすべてが満足するような制度改革は不可能である。既得権益を守ろうとすれば、いっさいの仕組みに手をつけない ということになってしまう。年金制度にとって最も重要なことは何かを改めて考え直し、最も重要な要素を代表する立場に立って制度改革を論ずるという姿勢が必要であろう」(P7)

「年金にとって最も重要なことは、長い期間負担し続ける人々にとって、その負担が納得できるような制度でなければならないということである。最も長い期間負担し続けることが 期待されるのは、年金に加入したばかりの人、これから年金に加入する人=若い人たちである。若い人たちの立場から年金改革を考えていく=これが、本書の拠って立つ立場である。」(P9)

本書タイトルの「若者」には、このような意味が込められている。
考えてみれば当然の話なのだが、これまでは給付の先食いと将来への負担の先送りが公的年金の現実であっただけに、 ここらで大きく「あるべき年金」に舵を切ってもらいたい。(公的年金設立当初は「積立方式=将来への備え」を基本とし、その後「賦課方式=仕送り」と変貌していった。 単に賦課方式から積立方式へ戻せばよいという問題ではない。)

第1号被保険者の多数派は「無職・臨時・パート」

第1号被保険者というと「自営業者等」と表されることが多いが、実は自営業者は第1号被保険者のうちの17.8%に過ぎない。 トップは「無職」の34.7%、次いで「臨時・パート」の21.0%、その後に自営業者がくる。 (P6、第1号被保険者の男女別就業状況の総数の数値。資料元は社会保険庁「平成14年国民年金被保険者実態調査」)

「無職・臨時・パート」であれば、定額の保険料負担も重く、免除・未納も多くなる。
給付面で見ても、自営業者を念頭に置いた国民年金の給付水準では将来の生活費を賄うのに十分ではない。

無職で収入がなくとも保険料納付義務

「「無職で収入のないものから保険料を取るのはおかしい」という第3号被保険者制度擁護の理屈は、なぜだか、ここでは聞かれない」(P28)

第1号被保険者のうち3割が無職だが、無職であれば収入がない為に単独世帯でいることは難しく、家族の扶養に入るのが普通である。 しかし、職がない人であっても単独世帯ではない無職無収入の第1号被保険者は保険料納付義務を負う。

第3号被保険者の立場であれば、同様に無職無収入でも保険料は払わなくとも払った者と同様の扱いを受けるのだが・・・。 (20~30代の若者に多い無職・臨時・パートである第1号被保険者は空洞化の要因になっている。自営業者=第1号被保険者という前提のひずみ。)

年金改革の基本的視点(P9~10より)

世代間の意識のギャップ

「右肩上がりの経済の時代にあっては、高齢者は過去の苦しい時代を生きてきた弱者であったが、先行きの不安な低成長時代しか記憶にない若者にとっては、高度経済成長という 夢のような時代を生きた高齢者は多くの資産を持つ幸せ人と映る。一方、高度経済成長を支えた若者は、次第に支えられる側に回り始める。ここで世代間の意識のギャップが生じる。」(P18)

日本経済は、高度成長、安定成長、低成長と変化しているが、現役時代がどの時代であったかということは、年金観にも強く影響してくると思われる。 「仕送り」を当然に思うのか、受け入れがたく思うのか。単に数字上の損得だけではない世代間不公平論の本質が見えたような気がする。

「修正積立方式」から「実質的賦課方式」へ

厚生労働省が「世代間扶養」の仕組みを強調するようになったのは昭和60年改正以降。
高度経済成長時代「修正積立方式」であった年金は、昭和60年改正以降「実質的賦課方式」へと変化していった。

「「修正積立方式」と「実質的賦課方式」では、お金の流れが多少違うだけである。しかし、いつの間にか、そこで「年金とは何か」の哲学が変わってしまった。 「修正積立方式」の時代は、年金は自分の「将来の備え」であった。しかし、「実質的賦課方式」と言い出したあたりから、年金は「老後の扶養・仕送りを、社会全体の仕組みに広げたもの」になってしまった」(P57)

賦課方式は財政方式の「便法」であるが、これを元の積立方式に戻すことができなくなり「「便法」を「理念」に置き換える「本末転倒」の理屈が生み出されることに」(P58)なり、 そして「世代間扶養」の理念が入ってきた。高度経済成長という時代背景も、その受け入れを可能にしたという。

しかし、年金が「将来の備え」から「仕送り」に変わっても人々の年金に対する意識は簡単には変わらずに、 世代による損得が生じてもこれを認めることは難しく、結果的に年金不信・不満が生まれることになる。(P60より)

「将来の備え」「仕送り」両立せず

「今の年金は、「将来の備え」を「仕送り」という方法でやろうとしている。しかし、それは、高度経済成長時代だから可能であったにすぎない。 低成長の時代には、「将来の備え」と「仕送り」は両立しなくなってしまった。今のような年金制度では、今の、そしてこれからの時代には合わない。」(P66)

厚生年金の保険料上限「18.3%」の根拠なし

「平成16年改正では、負担の上限を先に決めることになった。与党や財界等との調整の結果、上限は、厚生年金の保険料率で18.3%、国民年金の保険料では、 月に1万6900円(平成16年改正前1万3300円)と決められた。この数字に何か根拠があるわけではない。あえて言えば、ドイツなどの保険料率(現在)が18%程度なので、 そのへんで止めましょうということになったという程度である。関係者の妥協の産物といってよい。」(P79)

マクロ経済スライド、毎年のスライド調整率0.9%は大きい

「毎年マイナス0.9%という数字は、経済全体の伸びと一人ひとりの賃金の伸びとの乖離というには大きすぎる。しかも、物価上昇率からも0.9%差し引くというのは、 「マクロ経済スライド」という言葉では全く説明できない。」(P81)

法定ではない給付水準の下限

「平成16年改正で予定した保険料の上限と給付の下限は維持できるのか。(略)保険料の上限は法定されているが、給付水準の下限は、実は目標であって、法定されていない。」(P82)

厚生年金部分の民営化は非現実的

「基礎年金を全額税方式にして、厚生年金部分を民営化するという主張がある。これは、全く現実的な案とはいえない。」(P105)

基礎年金の税方式化・・・高齢者の負担について

基礎年金財源に消費税を活用すると、年金受給者である高齢者も消費税を負担するので世代間不公平の是正に繋がるとされているが・・・
「消費税の引き上げは物価上昇につながるが、年金は物価上昇にスライドして引き上げられることになっているので、年金受給者は実質的に消費税の負担はしないことになる。」(P106)
消費税引き上げの分、物価スライドを停止する方法もあるが、この場合は年金への不安が増すと指摘している。

基礎年金の税方式化を主張する人々

労働組合の連合のようないわば「年金平等派」のグループの人たちと、企業の集まりである日本経団連のような「小さな政府派」グループの人たちは、 両者共に『基礎年金の税方式化』を主張しているが、その考えについては一致せず、筆者は「基礎年金の税方式化がまったく違う考え方の人々から提案されていることは、議論を混乱させるだけではなく、 人々の年金に対する理解を混乱させることにつながる」(P108)と指摘している。

日本経済新聞2009年2月15日号「今を読み解く:国際基督教大学教授 八代尚宏」より抜粋
「植村尚史著『若者が求める年金改革』(中央法規出版・2008年)は税方式の議論を「同床異夢」と表現する。旧厚生省出身の著者は税方式の特色について、 すべての人の年金受給権が保障される一方で、権利性を欠くことから、民主党案のように高所得層への支給制限が伴いやすいと指摘。さらに負担世代が減少する中でも充実した給付 を平等に求める論者と、公的年金を基礎年金だけに限定する小さな政府の論者との間では、税負担や年金給付の適正水準の考え方が反対になるという。」